10代の時初めてオーストラリアに来て、 "サーファーズパラダイス" という名前の町があると知った時、 「オーストラリアってすごいな」と思いました。 IMG_8930   先日そのサーファーズパラダイスの間を複雑に流れる川でSUPクルージングに行ってきました。 アツシさんの家の裏から出発、 目指すのは2kmほど先のナオキさんの家前まで。   豪邸が並ぶシェブロンアイランドを横目に、 反対側にもホワイトハウスの様なお屋敷がずら〜〜〜〜っと並んでいました。 IMG_8909 どのお家も船着き場があり、 大きなクルーザーやスピードボートが置いてあります。 自家用ヘリコプター、ヘリポートがあるお家もありました・・・ IMG_8914 海とつながっているので、 潮の流れがあり、潮と風をよむのも難しくかなりハードワーク。 ナオキさんの家前のラグビー場で一休憩して、 帰路へ。。。 向かい風で行きの倍かかりました。 IMG_8913 途中で、ボードより大きなエイとぶつかりそうになり、 エイもビックリ、体をねじらせて避けていってくれた・・・ 長くて大きなしっぽが真下に見えて、 本気でビビりました・・・ IMG_8942 四国では味わえないクルージングでした♩

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毎日スーパーバンクはゴーイングオフしています。 昨日ゴールドコーストは高波高潮でビーチが削られたり 車が流されたりと事件になっていました。。。 今週末はビーチは「オールクローズ」とTVニュースでやっていたので、 今日はノーサーフかな?と思っていたら、、、 スーパーバンク、サーファーで溢れかえっていました。 IMG_8973 数年ぶりに、スナッパーからキラまでサーフィン。 ローカルサーファー、WTサーファーはジェットスキーを使って確実にキラのセットをメイクしていました。 IMG_8981 それにしても、 サーファーのために、砂を流すという仕組み、すごいです。 クイックシルバーPROに向けて地形もどんどん整っている感じ!? それにしても約1.8kmのラインナップに何百人のサーファー達、 思い思いのボードに乗って、 皆がサーフィン上手い。。。 IMG_8983 2 毎日のパドルで、パドル筋が発達してきました・・・

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オーストラリア6日目。 朝晩は涼しく、 日中は射す様な日差しです。 IMG_8591 半日はオフィスですが・・・ 体の大きなオージー体温に合わせて、部屋の中はアラスカです。 IMG_8692   私が来る前の週から最高の波が続いているらしく、 オフィスと波乗りで、 気がつくと夜になって、 気がつくと次の日になっている・・・ IMG_8699 名物ディジュリドゥおじさん。 WT選手が試合に向かう時、 後ろからお祈りの歌を唄っています。 今日は、スナッパーの看板に向かって、 何やらお祈りを歌っていました。   #QUIKPRO #ROXYPRO の準備もせっせかと進んでいるようです。 IMG_8739 日に日に、スーパーバンクは人が増えてきているらしい!? 波が上がると、 ゲットポジションにサーファーが溜まっていきます。 セットが切れた瞬間に、 一斉にドワァーーーーッと入るから、 サーファーのお団子が海の上を転がる感じ。 IMG_8732 IMG_8744 IMG_8769 昨日はスペシャル級にサーファーが多く、 私は波乗り人生で、一番の込み具合で入りました。 バーレーヘッズ、カランビン、その他どこも良くなく、 上からも下からもサーファーが集まり、 約1.8kmのレギュラーオンリー・スーパーバンクに この人の密集度。 何百人のサーファーが入っていたのです。 2000人だ!という声も。 IMG_8795 私は2時間入って、乗れたのは3本。 乗ろうと思ったらダメですね笑 ここは、ミックやパーコ、デスーザ、ローカルサーファー達のライディングを眺めると思って、 海に浸かる気持ちです。 IMG_8806 インドネシアの誰もいない一人ぽっちの波待ちと、 世界一混雑しているスーパーバンク。 今月は極端な面白い月になっています♩ IMG_8823 海から上がってからも、 日が暮れるまで皆のライディングを見学しました。 見ていて飽きない! IMG_8826 今週末に向けて、 まだまだ波が上がるようです。 落ち着いたらちょっと足を伸ばして遠出しようと計画中〜   昨日の夕方は、彼と海ーキラで晩ご飯♩ IMG_8836 Aloha from AUS.

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今回、島でサーフィンをしている時、 ビーチで一人のおじいさんに声をかけられて、 ハッとししたことがありました。 「ニッポンジン?」 ニホンジン?でもジャパニーズ?でもなく、 発音良く、「ニッポンジン?」と聞かれて、 地元住民の人達の歴史にも戦争がしっかり刻まれているのだなと知りました。 IMG_8294   小雨が降る中、 私は運転手さんが引き続き案内してくれた 政府が管理しているという 敷地?小屋?資料室にも行くことができました。 IMG_8285 何回挨拶しても、誰も出て来なかったので、 勝手に小屋の中に入り、 当時の地図や、 兵隊さんの服、時計、眼鏡などを見ていると、 ようやく一人の女性がやってきて、 ゲストブックに名前を書くように促してきました。 IMG_8287 ゲストブックの過去をさかのぼって見ても、 日本人の名前は見当たらず、 インドネシア人の学生かと思われる記帳がほとんどでした。 (社会勉強などで来るのでしょうか?) 展示されているものは、 日本軍の物がほとんどですが、アメリカ軍の物も少し混じっていました。 IMG_8291   政府が管理していると行っても、 誰でも入れて、 案内人もおらず、 正直、大きな広場という場所でした。   無造作に放置されていると言ってよい状態で、 戦車、プロペラ機、機関銃などが置いてあります。 雨ざらし、 もしくは赤道から1度ずれた場所であるここは、炎天下になるはずです。   銃弾の痕や、 飛行機が落ちて、プロペラが曲がったものや、 側面の壁が吹っ飛んでしまったものなど、 当時の場面が鮮明に頭にイメージされていきます。 IMG_8292   雨に濡れているヘルメットに触れると心の痛みが強くなりました。   一通り見て回ると、 運転手さんが敷地内の端っこの方にある小さな小屋を指指し、 しきりにインドネシア語で何か伝えようとしてきました。 IMG_8295     運転手さんは小屋へ行こうとしないのですが 亮太と私に何か訴えかけてくるようなので向かって行ってみることにしました。 鍵のかかっていないこの木の扉を開けるとショックでした。 IMG_8282 遺骨のお部屋でした。 開いたままの段ボールに詰め込まれている遺骨。 (段ボールの遺骨は、散乱していたものを拾い集めたものみたいです) 白い土嚢袋に入っている遺骨は、 状態よく見つかったもののようで、 一人一袋と分けてありました。 IMG_8273   数年前に、日本人と地元の人達で大きな洞窟から拾われたらしいです。 まだ手付かずの洞窟もあるみたいです。   この部屋は辛かったです。 辛いのですが、部屋から出れないのです。 IMG_8281   資料室で知ったのですが、 ヘルメットをかぶったまま見つけられた日本人兵も多くいたようです。 ヘルメットを付けたままの状態で何十年もいたなんて。 IMG_8274   二つめの袋を見させてもらうと、 食器が一緒に入っていました。 もうこれ以上は見れませんでした。 IMG_8279 資料室に、セピア色の日本兵の方達の写真がありました。 その横に、マッカーサーの写真がありました。 彼の写真は、今のカメラで撮って現像したものと変わらないくらい、 カラーで鮮明でした。   この日の気持ちはまとまらず、 今でもちゃんと文章にできません。 IMG_8271   ゲストブックを出してきた女性に、 最後に日本人が来たのはいつですか?と聞くと、 前回のお正月と教えてくれました。 遺族の方が時々供養に訪れるそうです。 IMG_8223   個人的には日本政府の対処や処理については分かりませんが、 でも今でも遺族の方がいて、 失った家族のことで心を痛めている人達がいるというのが現状。 まだ戦争は日本でも続いていると強く感じた瞬間でした。 IMG_8224     フィリピン、スマトラからニューギニア、マーシャル、ソロモン・・・ 今ではサーファーにとっては夢の地です。 国籍関係無く、一緒にサーフィンしています。 70年、されど70年。 IMG_8302 運転手さんは最後に、 モニュメントがあるビーチに連れて行ってくれました。 きれいなビーチです。 かつては、太平洋のウネリをかわすここに戦争のための船が出入りしてたようです。 IMG_8323 訪れた戦地痕から車で10分で港町に出れました。 IMG_8320 この日の記録はブログでは終わりにします。 ここに訪れたからといって、私はこの資料室にもっと良い保管室のための寄付もできませんし、 遺族の方にも何もできません。 現在進行形で世界で戦争が起きていることを知ること。。。 今後 この日見た事、感じたことは、 私の中で何回も思い返されると思います。

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オーストラリア行きの日程が近づいて来た島生活。 どうしても行きたい場所があり、 一日早く村と島を引き上げることにしました。 IMG_8170 道を通るパブリックバスを停めて、荷物を乗せてもらい出発。 なぜか一人のおじさんが、私が持っていたカメラを見て興奮したらしく、 乗車していた他のお客さん達皆をバスから下し、全員で記念撮影をすることになりました。 3時間、横のドアは空きっぱなし。 大雨が降っても関係無く、風と雨が吹き込む。 IMG_8180 山道、ガタガタ道、なんとか酔わずに数時間乗り切りました。   それから色々動き、 いよいよ目的の場所へ出発。 向かったのは、 第二次世界大戦の跡地。 大東亜戦争で、日本軍が潜んでいた戦地。 雨が降っていたので、バイクはやめて、 バブリックバスのおじさんを交渉して貸し切りにしてもらい出発。 IMG_8297   チャーターした運転手さんも以前訪れたことがあるらしく、スムースに洞窟の入り口まで案内してくれました。 自分達でバイクで来てたら絶対にたどり着かなかっただろうな・・・ 洞窟までの道を歩いていくと、 心臓がバクバクして、手から汗が出てきました。 IMG_8204 ドライバーさんは、洞窟の入り口で待っているからと、 亮太と2人で、ゆっくり長い階段を下りて行くと、 途中から暗くなり、 下りきった頃は、 iPhoneのライトが無いと、歩けませんでした。 IMG_8226 洞窟の中は、 蒸し暑く、 訪れたのはお昼頃なのに、暗くコウモリが飛び回り、 キキキキキーとコウモリが鳴いていました。 歩き進んで行く度に 鍾乳石から滴り落ちてくる水滴が、頭やカメラに落ちてきます。   引用:「洞窟内は一面青苔が生え、湿気と人いきれで不潔な臭いがムンムンしている上、天井から何百本とたれ下るしょう乳どうからポタポタと水が落ちる。水がないので兵隊達はコウモリやヘビの小便が交っているかも知れないこの水を。空缶に受けては呑んでいる。奥の兵舎には重病人やケガ人がうめき声をあげ、彼等の糞尿はあたりに散らばり、一段と異様な臭いがただよう」 (昭和19(1944)年5月17日から6月13日に書かれたもの) IMG_8221 真っ暗な洞窟内で目をこらすと、まず視界に入ってきたのが、 ガラスビンやお皿などの破片。 形のきれいな物は回収されたようですが、後は約70年前のまま。 IMG_8238 3000人〜5000人以上の日本兵がこの洞窟の中にいたとされているようです。 ただ、至る所にこんな洞窟があるらしく、正確な数字は分からず。 IMG_8228   最終的には、この洞窟はアメリカ軍によって、 銃撃、手榴弾、ドラム缶爆弾、ガソリンを流し込まれたり。 ひん曲がったドラム缶などがそのまま放置されていました。 IMG_8229     引用: 日一日と斃死ス 死臭ハ充満シ 流血ハ地を染メタリ 洞窟外一歩出レバ 砲弾ノ洗礼アリ 日常生活総テ洞窟内ニ於テ行ヒタリ 糞尿ハ流レ 死臭ト混和シテ悪臭ニ 窒息スル計リナリ 血ハ地ヲハヒ死汁ハ滲ミ フン尿は流れ 洞窟ノ水滴モ為ニ味ヲ変ズ 飲料水ハ此ノ水滴ノミ 洞窟ヲ守ル哨兵ハ 毎日出テ毎日帰ラズ 地雷ヲ握リ戦車ノ下デ するめとナリタル兵 立哨位置では死体ヲ楯トシテ 亦死スル兵 嗚呼忠勇無比ノ兵ハ 連日数を減ズルノミ 敵益々近接シ来リ 揶揄スル言辞ヲ弄シ 入口ニ戦車ヲ据へ砲撃ス 火焔放射器ヲ射シ ドラム罐ヲ投ゲ込ミ火ヲ流ス (中略) IMG_8232 これは食器でしょうか。。。。   五月   日章旗ヲ焼キ ○○○ハ自決シ全員突撃ヲ以テ 重囲ヲ突破スルニ決ス 動ケザル患者ハ自決ヲ命ゼラレタリ 夜  決行セラレタリ 明ケテ   太陽ノ下敵来レシ共 中ニ入ラズ終日砲撃ヲ繰返シ 最後ニドラム罐数十本投ゲ込ミ 洞窟内ハ火ノ海ト化シタリ 患者ハ手榴弾ニテ自決シタリト 火ノ海より脱出セシ者ニ聴キタリ 嗚呼西洞窟ノ惨戦ハ 国防ノ第一線ヲ死守シタル 物語リニ相応シキモノナリ... IMG_8245 ここのケーブで見つかった遺骨や遺品などは運び出されたとのことですが、 それでも時間が70年前から止まっていました。 そのまま放置してあるドラム管、触ったらボロボロと崩れだしそうでしたが、 触ると、その当時は熱く燃えていただろう物も、今では冷たく固まっている様。 ただ確実に劣化していることに、なぜか焦りを感じました。   今回、他の洞窟にも行きたかったのですが、 雨が多いせいかクローズしていたり、あまり知られていない洞窟へは情報も時間も無く、行けませんでした。 この後は 洞窟を後にして、政府が管理しているという場所に足を運びます。  

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ある日、フランシスとフランクも一緒に波チェックに行くと 何やら賑やかな雰囲気。 何だ?と見ていると、波打ち際に黒い固まりが動いている。 IMG_7550 それを見つけて網を持って走り出す村人!?漁師!? 小魚の群れだー バシャバシャ追いかけて行ったって、 そんなの魚逃げるやん!とつぶやいていると、 IMG_7563   なんのその。 見事に大量でした。 あれで、魚が捕れるんだ...すごい。 IMG_7558   この日は結局、 風が悪く、猛暑だったので、「滝に行こう〜」となりました。 確かこっち・・・と細い道を入って行く・・・ IMG_7654 どんどん細くなって行き、 仕舞いには道が見えなくなり、 足に草木は当たり擦れるは、 サーフボードラックは曲がるは、 蜘蛛の巣だらけ、 木の根っこがあるから、バイクから下りて、持ち上げて押して進む・・・ 上からも横からも棘のある植物達が襲いかかってくる・・・ IMG_7655 ようやく、ようやくたどり着いた時は、 まず体とバイクチェック。 川と滝は素晴らしくきれいで、来た道の疲れを吹っ飛ばしてくれました。 IMG_7704 鍾乳洞が多いエリアらしく、 それと同じような成分の岩でできた小ぶりの滝と、滝壺、川がずーっと上まで続いているようです。 IMG_7680 ロッククライミングが趣味のフランシスが、滝を登り始め 川の奥の方までゆっくり、まぁまぁ距離を進んでいきました。 IMG_7811 水の音と、 色んな種類の鳥の鳴き声。 ジャングルの音でした。 IMG_7687 登り続けるとどこまでも行けたんだろう? 疲れては、 小さな滝壺で泳ぎ、ゴロゴロ。 IMG_7824 体の中から、こもっていた暑い熱が出ていくようで、 とても気持ちがよかった〜 IMG_7832 IMG_7778 でももう、あの道を登ってこようとは思えない・・・笑 蛇でもでたら恐い(T.T) 帰りはもちろん、ジャングルを無理矢理バイクで突っ切り下りました。

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今日からオーストラリア入りしました。 自分で水温を調整し、水圧を感じるシャワーの気持ちが良いこと! 数日前までの島生活がすでに懐かしく感じます。 IMG_7382   名前が無いポイントを巡り、 人がいない場所で波乗りをするというのは、 初めての経験でした。 IMG_7436 2カ所だけ、皆が共通して呼んでいた場所は、 コンスタントにいつでも波がある、 「ビーチ」 もう一つは、 ここの島のメインポイント、 「ピーク」もしくは「Aフレーム」 IMG_7529 ↑ここの無名レフトは陸から見ると浅そうですが、 実際入ると完璧なレフトハンダーでした。 サイズが上がった時は、 テイクオフする隙が無く、四角いバレルが恐怖でした。 IMG_7860 IMG_7545   ↓河口近辺のポイントでは、いつも村の人達が洗濯や食器洗い、水浴びをしていました。 IMG_7996 IMG_8041   ↓ここも名無しのライトハンダー。 私が一番気に入った波。 HTに似た波で、満ちた時のみサーフィン可能でした。 IMG_8084 ↓ホームステイ先の前が、「Aフレーム」 沖までパドルで10分ほど。 とんでもなくきれいな珊瑚礁の上をパドルアウトしていきます。 ノースショアと同じウネリを拾い、パワフルで破壊的なライトとレフトの波。 IMG_8124 村にいた、約10人のサーファー達は、皆いいリズムの人達でした。 情報交換はしっかりしながらも 人が入っているポイントには、あえて入らず違うポイントで入ったり、 たとえ5人くらいが一緒のポイントに入った時も、 順番に波を回し合う。 IMG_8159 私は、ピークに自分の番が来ると巨大なセットが入ったらGOしなければいけないので、 あえてピークに行かないようにしているのに、 「カオリ、it`s your turn」といってピークの座を空けてくれる皆。 あ、あ、あ、あ、ありがとう。 to be continue...

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島の村に着いて、 ホームステイさせてくれる場所に選んだ家は(勝手に行って選ばせてもらう権利など全くないのですが・・・)、 私と同じ歳くらいのお父さんお母さん、 そして7人の子供達がいるお宅。 IMG_7334 リビングと部屋が2つ。 10代の上の子達が使っていただろうお部屋を空けて貸してくれました。 (上の子達4人は村の中の親戚のお家へ行ってくれたようです) コンクリートの床のお部屋に、 厚み10cmくらいのマットレスと蚊屋を用意してくれました。 電球は各部屋に一つあり、薄暗いですが十分。 IMG_7960     テレビもあり、 かなりハイレベルな生活をしているんだなと思ったのですが、 毎日朝から夜まで一緒に生活していると、色々なことが徐々にわかってきました。   朝昼晩、3食白米のみ。 驚きとショックで、 これは貧しくてこうなのか? それとも普通なのか? そこまで聞くこともできず。 一週間で、それ以外の物を食べたのを見たのは、 お父さんが釣ってきた小魚のスープ、 野菜一品、のみ。     IMG_7341 私は朝は空港の近くの市場で買ってきていたマンゴーやバナナ、 お昼はバイクで10分走った町まで行って、 4件ほどある食事屋さんをローテーションしていました。 お貸しのタンゴを箱買いしてお部屋に置いておくと、 毎日3歳くらいのアナちゃんがタンゴの箱をチラチラと見てくるようになり、 最初は1回あげると他の兄弟、近所の子供達皆にあげないといけないから困るなぁと止めていたのですが、 3日目に上げると嬉しそうに隠れて食べていたので、 お部屋に来てはタンゴを上げる、アナちゃんは隠れて食べる、という習慣ができました。 IMG_7950 窓は暑いので24時間開けっ放し。 蚊屋の中にいれば蚊から守られます。 水は井戸から引いたもの、 家の中は、電球が裸のままぶら下がっているのが普通の用。 トイレはインドネシアのベーシックなものでトイレットペーパーは無し。 シャワーも同じ所でできるけれど、 フランシスに教えてもらった村外れにある、川で全てを済ませました。   IMG_7998   マラリアとデング熱は多いらしく、 蚊が多い時間帯と場所はなるべく避け、夜は長袖ロングパンツで行動。 と思いきや、子供達は真っ裸で元気よく遊び回っている。 近くの病院に行けば、無料ですぐに検査と薬を出してくれるらしいです。 スンバでも海辺のファミリーで、去年一人子供が亡くなったという家族がいました。 マラリアだったようですが、 毎日の食生活を見ていると、抵抗する力や免疫力が無くて弱ってしまうんだろうな・・・と。 ここの島のご飯屋さんでは、 パパイヤの葉っぱや茎、お花の料理が毎日あったので聞いてみると、 パパイヤはマラリアに効くのだとか。。。 IMG_8007 日本人がこの村に来たのは初めてらしく、 会う人会う人に二度見されます。 (正確にいうと多分、第二次世界大戦以来) 必ず手を上げて挨拶してくれるので、 そのうち向こうが手をあげてくれる前に、こっちから手を上げて会釈するようにしました。 反対車線のバイクや車も、ほぼ皆手を上げて会釈してくれる。 追い越しの時も、クラクションをピッとしながら、ニコっと。 IMG_8026 なんせここの人達の娯楽は、 外人を見つけたら呼び止めることか?と思うほど、会う人会う人に声をかけられます。 IMG_7343 同じ村の中でも、 色んな家族がいました。 毎日真っ裸で生活している兄弟姉妹。 どんなに小さい赤ちゃんでも洋服を着させている家庭。 教会に行く時だけ、きれいな洋服をきる人達。 貧しさからくるのか、 昔からそれできているから、 それが文化なのか。 ただ、オムツをしている赤ちゃんは一人もいませんでしたが。 to be continue...

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  バリから飛行機を乗り継いでウェスタンパプア。 その中でも離島の未知の小さな島へ。 IMG_7316   スンバと比べると、電気も水もあると聞いていたので、 インドネシアの電話を買ってWIFIを使えるようにしていきました。 すると なんと 電波は無いということが着いてから判明。 ここ10日間は電波無し生活でした。 IMG_7318   空港から目的地までは車で3時間。 乗り合いバスなら、一人7万ルピー(約700円) 車チャーターなら100万ルピー(約1万円) 乗りバスまで、半日待たないといけないということで、 フランシス、フランクも一緒に4人で車チャーターにすることに。 IMG_7328   エアコンあると言われたけど、 一回もつけてもらうことなくガタゴトガタゴト、ジャングルを走り続け・・・ ようやく目的地の村に到着。 IMG_7330   ロスメン、コテージ、ホテルなどは無く、 宿泊は個人の家を何件か訪ね、 泊まらせてくれるか聞き、 ウェルカムな感じなら、マットレスと蚊屋があるか確認して、 部屋とトイレをチェックさせてもらうという流れ。 IMG_7334   5件くらい周り、ようやく海から30m、風通しが良く、わりと清潔感があるお家に決定。 IMG_7338 この島にいたのは、 約10人の外人(フランス、カナダ、南アフリカ、オーストラリア、アメリカ)。 ローカルサーファーは0人。 ポイントはエンドレス。 IMG_7600 移動にバイクが必要なので、村で出会った人などに声をかけ交渉。 ラックはこの島に着いてから手作りしました(リョータマンが) 道具はバリから持参 材料費Rp.25000-(約230円)安くてびっくり。フランシスに教えてもらいました。 to be continued...

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雨期なバリを久しぶりに体験しました。 ご飯を食べに出掛けて、 帰りは土砂降り。 シャワーを浴びていると思い、びっしょびしょになりながら帰っていると、 道沿いのお店では、傘を売り始め、 バイクに乗りながら、傘やカッパを売りにくるおじさんも出てくる、追いかけてくる。 IMG_7209 少し高いお金を出して、 お部屋でWIFIが使える宿を取ったけれど、 雨でモデムがつぶれたとかで、結局お部屋ではWIFIが使えたのは初日だけ。。。 そんなもんだねバリ♩ 楽しい。 クタでは空き店舗が多く、ちょっと淋しい感じがしたけれど、 人のパワーとバイタリティーはやっぱりすごい。   そして、 次の行き先がやっと決まりました。 メンタワイかウェスタンパプアでかなり迷い。 結果、ウェスタンパプアに行くことにしました。 実はこの冬にパプアニューギニアに行こうと思って調べていたけれど、 お勧めしてもらっていたトゥピラ、その他3つのエリアは かなり高額で、人気らしくすでに予約も多いらしいと。。。 パプアニューギニアには行けないけれど、 同じ島のインドネシア側に行けることになって、なんだか行き先に縁を感じました。 スクリーンショット 2016-02-06 20.57.25 バリからは飛行機を1回乗り継ぎです。 太平洋側なので、ハワイと同じウネリをひろうらしい。 話を聞く所によるとスンバよりは、 タフな生活では無さそうです。 そして、太平洋戦争で日本兵さんたちが何千人ときて、今でもそのまま放置されている場所みたいです。 サーフボード4本、SUP2本もって行ってきます!

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スンバから一緒にバリに帰ってきたフランシスと、 レギャンの"タケ"日本食レストラン♩ 久しぶりに再会した、フランクと、 友人ヤン・マーも一緒に、バリで日本の文化を楽しみました♩ スクリーンショット 2016-02-04 18.24.36 おつまみ、お寿司、お好み焼き、天ぷら・・・最高! フランシス達と、バリの次はどこに行こうかと相談。 メンタワイキャンプ、もしくはインドネシア側のパプアニューギニア・・・? どうなるんでしょう。 昨日の夜は日本から到着したばかりの、 ケン君、奥さんのみっちゃん(静岡相良で小学校の同級生)、やまと君と中華料理♩ スクリーンショット 2016-02-04 18.16.47 ケン君ファミリーは今日から、ロンボクトリップ。 楽しくて、話が止まらない夜でした。 スクリーンショット 2016-02-04 18.17.31 バリでは、全然海に行かず、 マッサージと食に集中しています笑 IMG_6649 明日は風が弱くなるみたいなので、海行こうかな。

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大きなスウェルも過ぎ去り、 一旦バリに戻ることにしました。 IMG_6811 部屋にいると、 いつも何をするでもなく、暇つぶしに?遊びにきてくれる小さなキッズや、少年達。 毎日、「海に行こう〜」と誘いにきてくれる15歳の、イサ君とニアス君。 自然豊かな村で、素朴な暮らしをしていますが、 高校を卒業したら、ジャワ島かバリ島に仕事に出るみたいです。 IMG_6919 ヤギのお世話は子供達の役目のようでした。 IMG_6941 他の島に比べるとここのエリアは漁師が少ないらしく、 スピアフィッシングには最高の場所。 潜りのためだけにでも またこの島に戻ってきたいな。 IMG_6943 ↑右側のお家が、ステイしいたお部屋です。 ゲットするビーチまでは徒歩10分。 帰りは登りで、グッドエクササイズ。 IMG_7167 近くの河口もちょうど地形が決まっていて、 アクション系&スモールバレル。 IMG_7006 IMG_7024 IMG_7058 毎日波があり、 トリップとしては大当たりですが、 海の中は自分達2,3人というのは淋しかった。。。 一人が乗って行くと、 沖にぽつんと一人。 自分が乗ると、 もう一人がラインナップに戻ってくるサイクルになれば、 お互い近くによることも無ければ、会話はゼロです。 IMG_7133 次来る時は、もう少しメンバー増やして訪れたい。 一旦、バリに戻ります。 数日は宿でゆっくり体を休め、栄養とります。

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