オーストラリア行きの日程が近づいて来た島生活。 どうしても行きたい場所があり、 一日早く村と島を引き上げることにしました。 IMG_8170 道を通るパブリックバスを停めて、荷物を乗せてもらい出発。 なぜか一人のおじさんが、私が持っていたカメラを見て興奮したらしく、 乗車していた他のお客さん達皆をバスから下し、全員で記念撮影をすることになりました。 3時間、横のドアは空きっぱなし。 大雨が降っても関係無く、風と雨が吹き込む。 IMG_8180 山道、ガタガタ道、なんとか酔わずに数時間乗り切りました。   それから色々動き、 いよいよ目的の場所へ出発。 向かったのは、 第二次世界大戦の跡地。 大東亜戦争で、日本軍が潜んでいた戦地。 雨が降っていたので、バイクはやめて、 バブリックバスのおじさんを交渉して貸し切りにしてもらい出発。 IMG_8297   チャーターした運転手さんも以前訪れたことがあるらしく、スムースに洞窟の入り口まで案内してくれました。 自分達でバイクで来てたら絶対にたどり着かなかっただろうな・・・ 洞窟までの道を歩いていくと、 心臓がバクバクして、手から汗が出てきました。 IMG_8204 ドライバーさんは、洞窟の入り口で待っているからと、 亮太と2人で、ゆっくり長い階段を下りて行くと、 途中から暗くなり、 下りきった頃は、 iPhoneのライトが無いと、歩けませんでした。 IMG_8226 洞窟の中は、 蒸し暑く、 訪れたのはお昼頃なのに、暗くコウモリが飛び回り、 キキキキキーとコウモリが鳴いていました。 歩き進んで行く度に 鍾乳石から滴り落ちてくる水滴が、頭やカメラに落ちてきます。   引用:「洞窟内は一面青苔が生え、湿気と人いきれで不潔な臭いがムンムンしている上、天井から何百本とたれ下るしょう乳どうからポタポタと水が落ちる。水がないので兵隊達はコウモリやヘビの小便が交っているかも知れないこの水を。空缶に受けては呑んでいる。奥の兵舎には重病人やケガ人がうめき声をあげ、彼等の糞尿はあたりに散らばり、一段と異様な臭いがただよう」 (昭和19(1944)年5月17日から6月13日に書かれたもの) IMG_8221 真っ暗な洞窟内で目をこらすと、まず視界に入ってきたのが、 ガラスビンやお皿などの破片。 形のきれいな物は回収されたようですが、後は約70年前のまま。 IMG_8238 3000人〜5000人以上の日本兵がこの洞窟の中にいたとされているようです。 ただ、至る所にこんな洞窟があるらしく、正確な数字は分からず。 IMG_8228   最終的には、この洞窟はアメリカ軍によって、 銃撃、手榴弾、ドラム缶爆弾、ガソリンを流し込まれたり。 ひん曲がったドラム缶などがそのまま放置されていました。 IMG_8229     引用: 日一日と斃死ス 死臭ハ充満シ 流血ハ地を染メタリ 洞窟外一歩出レバ 砲弾ノ洗礼アリ 日常生活総テ洞窟内ニ於テ行ヒタリ 糞尿ハ流レ 死臭ト混和シテ悪臭ニ 窒息スル計リナリ 血ハ地ヲハヒ死汁ハ滲ミ フン尿は流れ 洞窟ノ水滴モ為ニ味ヲ変ズ 飲料水ハ此ノ水滴ノミ 洞窟ヲ守ル哨兵ハ 毎日出テ毎日帰ラズ 地雷ヲ握リ戦車ノ下デ するめとナリタル兵 立哨位置では死体ヲ楯トシテ 亦死スル兵 嗚呼忠勇無比ノ兵ハ 連日数を減ズルノミ 敵益々近接シ来リ 揶揄スル言辞ヲ弄シ 入口ニ戦車ヲ据へ砲撃ス 火焔放射器ヲ射シ ドラム罐ヲ投ゲ込ミ火ヲ流ス (中略) IMG_8232 これは食器でしょうか。。。。   五月   日章旗ヲ焼キ ○○○ハ自決シ全員突撃ヲ以テ 重囲ヲ突破スルニ決ス 動ケザル患者ハ自決ヲ命ゼラレタリ 夜  決行セラレタリ 明ケテ   太陽ノ下敵来レシ共 中ニ入ラズ終日砲撃ヲ繰返シ 最後ニドラム罐数十本投ゲ込ミ 洞窟内ハ火ノ海ト化シタリ 患者ハ手榴弾ニテ自決シタリト 火ノ海より脱出セシ者ニ聴キタリ 嗚呼西洞窟ノ惨戦ハ 国防ノ第一線ヲ死守シタル 物語リニ相応シキモノナリ... IMG_8245 ここのケーブで見つかった遺骨や遺品などは運び出されたとのことですが、 それでも時間が70年前から止まっていました。 そのまま放置してあるドラム管、触ったらボロボロと崩れだしそうでしたが、 触ると、その当時は熱く燃えていただろう物も、今では冷たく固まっている様。 ただ確実に劣化していることに、なぜか焦りを感じました。   今回、他の洞窟にも行きたかったのですが、 雨が多いせいかクローズしていたり、あまり知られていない洞窟へは情報も時間も無く、行けませんでした。 この後は 洞窟を後にして、政府が管理しているという場所に足を運びます。  

記事を全て読む
ある日、フランシスとフランクも一緒に波チェックに行くと 何やら賑やかな雰囲気。 何だ?と見ていると、波打ち際に黒い固まりが動いている。 IMG_7550 それを見つけて網を持って走り出す村人!?漁師!? 小魚の群れだー バシャバシャ追いかけて行ったって、 そんなの魚逃げるやん!とつぶやいていると、 IMG_7563   なんのその。 見事に大量でした。 あれで、魚が捕れるんだ...すごい。 IMG_7558   この日は結局、 風が悪く、猛暑だったので、「滝に行こう〜」となりました。 確かこっち・・・と細い道を入って行く・・・ IMG_7654 どんどん細くなって行き、 仕舞いには道が見えなくなり、 足に草木は当たり擦れるは、 サーフボードラックは曲がるは、 蜘蛛の巣だらけ、 木の根っこがあるから、バイクから下りて、持ち上げて押して進む・・・ 上からも横からも棘のある植物達が襲いかかってくる・・・ IMG_7655 ようやく、ようやくたどり着いた時は、 まず体とバイクチェック。 川と滝は素晴らしくきれいで、来た道の疲れを吹っ飛ばしてくれました。 IMG_7704 鍾乳洞が多いエリアらしく、 それと同じような成分の岩でできた小ぶりの滝と、滝壺、川がずーっと上まで続いているようです。 IMG_7680 ロッククライミングが趣味のフランシスが、滝を登り始め 川の奥の方までゆっくり、まぁまぁ距離を進んでいきました。 IMG_7811 水の音と、 色んな種類の鳥の鳴き声。 ジャングルの音でした。 IMG_7687 登り続けるとどこまでも行けたんだろう? 疲れては、 小さな滝壺で泳ぎ、ゴロゴロ。 IMG_7824 体の中から、こもっていた暑い熱が出ていくようで、 とても気持ちがよかった〜 IMG_7832 IMG_7778 でももう、あの道を登ってこようとは思えない・・・笑 蛇でもでたら恐い(T.T) 帰りはもちろん、ジャングルを無理矢理バイクで突っ切り下りました。

記事を全て読む
今日からオーストラリア入りしました。 自分で水温を調整し、水圧を感じるシャワーの気持ちが良いこと! 数日前までの島生活がすでに懐かしく感じます。 IMG_7382   名前が無いポイントを巡り、 人がいない場所で波乗りをするというのは、 初めての経験でした。 IMG_7436 2カ所だけ、皆が共通して呼んでいた場所は、 コンスタントにいつでも波がある、 「ビーチ」 もう一つは、 ここの島のメインポイント、 「ピーク」もしくは「Aフレーム」 IMG_7529 ↑ここの無名レフトは陸から見ると浅そうですが、 実際入ると完璧なレフトハンダーでした。 サイズが上がった時は、 テイクオフする隙が無く、四角いバレルが恐怖でした。 IMG_7860 IMG_7545   ↓河口近辺のポイントでは、いつも村の人達が洗濯や食器洗い、水浴びをしていました。 IMG_7996 IMG_8041   ↓ここも名無しのライトハンダー。 私が一番気に入った波。 HTに似た波で、満ちた時のみサーフィン可能でした。 IMG_8084 ↓ホームステイ先の前が、「Aフレーム」 沖までパドルで10分ほど。 とんでもなくきれいな珊瑚礁の上をパドルアウトしていきます。 ノースショアと同じウネリを拾い、パワフルで破壊的なライトとレフトの波。 IMG_8124 村にいた、約10人のサーファー達は、皆いいリズムの人達でした。 情報交換はしっかりしながらも 人が入っているポイントには、あえて入らず違うポイントで入ったり、 たとえ5人くらいが一緒のポイントに入った時も、 順番に波を回し合う。 IMG_8159 私は、ピークに自分の番が来ると巨大なセットが入ったらGOしなければいけないので、 あえてピークに行かないようにしているのに、 「カオリ、it`s your turn」といってピークの座を空けてくれる皆。 あ、あ、あ、あ、ありがとう。 to be continue...

記事を全て読む
島の村に着いて、 ホームステイさせてくれる場所に選んだ家は(勝手に行って選ばせてもらう権利など全くないのですが・・・)、 私と同じ歳くらいのお父さんお母さん、 そして7人の子供達がいるお宅。 IMG_7334 リビングと部屋が2つ。 10代の上の子達が使っていただろうお部屋を空けて貸してくれました。 (上の子達4人は村の中の親戚のお家へ行ってくれたようです) コンクリートの床のお部屋に、 厚み10cmくらいのマットレスと蚊屋を用意してくれました。 電球は各部屋に一つあり、薄暗いですが十分。 IMG_7960     テレビもあり、 かなりハイレベルな生活をしているんだなと思ったのですが、 毎日朝から夜まで一緒に生活していると、色々なことが徐々にわかってきました。   朝昼晩、3食白米のみ。 驚きとショックで、 これは貧しくてこうなのか? それとも普通なのか? そこまで聞くこともできず。 一週間で、それ以外の物を食べたのを見たのは、 お父さんが釣ってきた小魚のスープ、 野菜一品、のみ。     IMG_7341 私は朝は空港の近くの市場で買ってきていたマンゴーやバナナ、 お昼はバイクで10分走った町まで行って、 4件ほどある食事屋さんをローテーションしていました。 お貸しのタンゴを箱買いしてお部屋に置いておくと、 毎日3歳くらいのアナちゃんがタンゴの箱をチラチラと見てくるようになり、 最初は1回あげると他の兄弟、近所の子供達皆にあげないといけないから困るなぁと止めていたのですが、 3日目に上げると嬉しそうに隠れて食べていたので、 お部屋に来てはタンゴを上げる、アナちゃんは隠れて食べる、という習慣ができました。 IMG_7950 窓は暑いので24時間開けっ放し。 蚊屋の中にいれば蚊から守られます。 水は井戸から引いたもの、 家の中は、電球が裸のままぶら下がっているのが普通の用。 トイレはインドネシアのベーシックなものでトイレットペーパーは無し。 シャワーも同じ所でできるけれど、 フランシスに教えてもらった村外れにある、川で全てを済ませました。   IMG_7998   マラリアとデング熱は多いらしく、 蚊が多い時間帯と場所はなるべく避け、夜は長袖ロングパンツで行動。 と思いきや、子供達は真っ裸で元気よく遊び回っている。 近くの病院に行けば、無料ですぐに検査と薬を出してくれるらしいです。 スンバでも海辺のファミリーで、去年一人子供が亡くなったという家族がいました。 マラリアだったようですが、 毎日の食生活を見ていると、抵抗する力や免疫力が無くて弱ってしまうんだろうな・・・と。 ここの島のご飯屋さんでは、 パパイヤの葉っぱや茎、お花の料理が毎日あったので聞いてみると、 パパイヤはマラリアに効くのだとか。。。 IMG_8007 日本人がこの村に来たのは初めてらしく、 会う人会う人に二度見されます。 (正確にいうと多分、第二次世界大戦以来) 必ず手を上げて挨拶してくれるので、 そのうち向こうが手をあげてくれる前に、こっちから手を上げて会釈するようにしました。 反対車線のバイクや車も、ほぼ皆手を上げて会釈してくれる。 追い越しの時も、クラクションをピッとしながら、ニコっと。 IMG_8026 なんせここの人達の娯楽は、 外人を見つけたら呼び止めることか?と思うほど、会う人会う人に声をかけられます。 IMG_7343 同じ村の中でも、 色んな家族がいました。 毎日真っ裸で生活している兄弟姉妹。 どんなに小さい赤ちゃんでも洋服を着させている家庭。 教会に行く時だけ、きれいな洋服をきる人達。 貧しさからくるのか、 昔からそれできているから、 それが文化なのか。 ただ、オムツをしている赤ちゃんは一人もいませんでしたが。 to be continue...

記事を全て読む
  バリから飛行機を乗り継いでウェスタンパプア。 その中でも離島の未知の小さな島へ。 IMG_7316   スンバと比べると、電気も水もあると聞いていたので、 インドネシアの電話を買ってWIFIを使えるようにしていきました。 すると なんと 電波は無いということが着いてから判明。 ここ10日間は電波無し生活でした。 IMG_7318   空港から目的地までは車で3時間。 乗り合いバスなら、一人7万ルピー(約700円) 車チャーターなら100万ルピー(約1万円) 乗りバスまで、半日待たないといけないということで、 フランシス、フランクも一緒に4人で車チャーターにすることに。 IMG_7328   エアコンあると言われたけど、 一回もつけてもらうことなくガタゴトガタゴト、ジャングルを走り続け・・・ ようやく目的地の村に到着。 IMG_7330   ロスメン、コテージ、ホテルなどは無く、 宿泊は個人の家を何件か訪ね、 泊まらせてくれるか聞き、 ウェルカムな感じなら、マットレスと蚊屋があるか確認して、 部屋とトイレをチェックさせてもらうという流れ。 IMG_7334   5件くらい周り、ようやく海から30m、風通しが良く、わりと清潔感があるお家に決定。 IMG_7338 この島にいたのは、 約10人の外人(フランス、カナダ、南アフリカ、オーストラリア、アメリカ)。 ローカルサーファーは0人。 ポイントはエンドレス。 IMG_7600 移動にバイクが必要なので、村で出会った人などに声をかけ交渉。 ラックはこの島に着いてから手作りしました(リョータマンが) 道具はバリから持参 材料費Rp.25000-(約230円)安くてびっくり。フランシスに教えてもらいました。 to be continued...

記事を全て読む